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王子総合病院

わかりやすい医学教室

脳ドックについて

脳ドックについて 脳ドックという言葉を聞いて,一体脳ドックって何?と思う人も多いのではないでしょうか。そこで今回は,最近普及してきた脳ドックについてどんな目的でどんなことをするのか,またその問題点について,お話しします。

 

1994.01 らいふNo1 
脳神経外科 柏原 茂樹

脳ドックの由来

元々ドックというのは,船を作ったり定期点検や修理をしたりするために入る工場を指しますが,人間を船に見立てて定期的に全身の検査をして,異常を早期から見つけようとするものを人間ドックと呼び,日本では早くから普及しています。しかし脳は硬い頭蓋骨で囲まれていて触れてみたり,聴診器を当てることも出来ませんし,レントゲン写真を撮っても脳自体はX線を透過してしまうため頭蓋骨が写るだけで肝心の脳の状態は分かりません。そのため脳についての検査は長い間,脳の中に直接造影剤を入れたり,空気を入れたりなど苦痛を伴うもので,健康な人に対して定期的に行える検査はありませんでした。ようやく苦痛を伴わないで検査できるようになったのが,1971年登場のコンピューター断層撮影(普通,単にCTと呼びます。)です。(図1)。しかし,CTではおおまかな脳の断層写真は撮れますが,脳の中の血管までは見ることは出来ません(脳の血管は直径数mmしかないからです)。日本人の死亡原因の第3位を占めるのが脳卒中という脳の血管が破けたり詰まったりする病気です。脳の血管が写せないCTでは脳卒中の予防には役に立ちません。そのためCTが登場してもドックのようなものは普及しませんでした。しかし1980年代になり磁気共鳴画像と呼ばれる機械が登場してきました(これはMRIと呼ばれます)。この機械では,脳の断層写真を撮れるばかりでなく,脳の血管も写すことが出来る様になりました(図2)。そのためMRIをつかって脳の血管を調べて,詰まりそうな血管や破けそうな血管を早くに見つけて治療しようという人間ドックの脳限定版,つまり脳ドックが世界に先駆けて日本で始まりました。これが1988年のことです。以来10年余り,今では日本全国で500を越える病院で脳ドックが行なわれています。それでは脳ドックの大きな目的である脳卒中の予防という点について,脳卒中とはどんなものかということも含めてお話しします。

    

脳卒中とは

脳卒中と聞くと漠然と脳の病気であることはわかりますが、具体的にどんな病気のことをさすのか、脳梗塞、脳血栓、脳塞栓、脳出血、くも膜下出血、脳軟化,みんな一度は聞いたことのある名前でしょうがどこがどう違うのか説明しろといっても難しいですね。ここでは脳ドックの目的である脳卒中の予防ということについて、まず「脳卒中」を説明します。脳卒中という言葉について説明すると、「卒」は卒然として、つまり急に、突然にという意味で、「中」はあたる、悪い気にあたる、悪い風にあたるという意味の言葉です。よく急に半身麻痺になった人を「あたった」とか「中風」「中気」ということがありますが、それはここから来ているのです。しかしこれはあくまで症状の上からの話で、医学が発達してくると,同じように「あたった人」でも原因がいくつかあることがわかってきました。つまり急に脳の血管が詰まったり、血管が破けると脳が障害されて「あたった」症状が出るのです。つまり脳卒中とは脳の血管が詰まる場合と破ける場合とがあり、全く正反対の原因で脳が障害されて「あたった」症状が出る病気を指していたのです。医学的な言葉でいうと「脳血管障害」という言葉が脳卒中と同じ意味になります。まとめると下のようになります。

血管が詰まる病気(閉塞性疾患)
脳の血管が詰まる場合2つのつまり方があります。血管そのものが動脈硬化を起して細くなって詰まる場合を脳血栓と呼び,血の塊が血液のなかを流れてきて詰まる場合を脳塞栓と呼んでいます。原因は違いますがどちらも脳の血管がつまってしまい脳に血液が流れなくなります。その結果,脳の神経細胞は栄養不足を起こして死んでしまいます。この脳が死んでしまった状態を脳梗塞と呼ぶのです。脳血栓,脳塞栓は血管のつまり方の名前で,脳梗塞は詰まった結果の脳の状態を指す名前です。ですから脳血栓,脳塞栓と脳梗塞は原因と結果の関係にあるわけです。どちらも血管が詰まるのだからわざわざ分けて考えなくても,と考える人もいると思いますが実はこのつまりかたの違いは病状が違ってきたり,治療方法が違ってきたりと大切な意味を持っています。例えば脳塞栓の場合,脳以外のところから血の塊が流れてきて血管をふさぐのですから,いくら脳の血管を調べても予防にはなりません。この場合は,血の塊が出来る原因として心臓の不整脈が一番多く,心電図検査や心臓のエコー検査をすることである程度予防が可能です。また脳血栓の場合は徐々に血管が細くなってくることが多いため,症状は少しずつ出てきて前触れのような症状がありますし,MRIを撮れば軽い狭窄のうちに見つけることも出来ます。脳ドックでは脳塞栓や脳血栓による脳梗塞を予防するために脳の血管を写したり心臓の検査をします。
血管が裂ける病気(出血性疾患)
これには高血圧性脳出血とくも膜下出血があります。どちらも血管が破けて出血するのですが,大きな違いは出血する場所です。高血圧性脳出血は脳の中に潜りこんで居る穿通枝といわれる細い血管が破けて出血するので,脳の中に出血し血の塊を作ります。くも膜下出血は脳の表面を走っている主幹動脈という太い血管に出来た血管の瘤(脳動脈瘤と呼びます)が破裂して脳の表面を覆うように出血します。

高血圧性脳出血は脳そのものを壊す形で出血しますから後遺症が残りますが,高血圧の治療が進んだ現在では死亡するほどの大出血は少なくなりました。それに対しくも膜下出血は,太い動脈が破けるのですから約1/3の人が死亡,約1/3の人が重い後遺症を残すという病気です。脳ドックで行なわれているMRI検査では,高血圧性脳出血を起こす細い血管は調べることは出来ませんが,太い動脈に出来る脳動脈瘤は見つけることが出来ます。そのためまだ破けていない状態の脳動脈瘤を見つけて,くも膜下出血を起こす前に手術しようということが脳ドックの大きな目的になっています。ただしこれは未破裂で見つかった脳動脈瘤が将来破けて出血するということが前提です。つまり未破裂で見つかった脳動脈瘤がまずほとんど破けないなら予防的に手術する意味はないからです。ですから脳ドックを受けて未破裂の脳動脈瘤を見つけて,予防的に手術するのが本当に有益なのか,という点についてはまだ議論のあるところです。最後に 従来脳の病気は最初に書いたように検査が難しく,病気を未然に防ぐという発想はありませんでした。しかし脳ドックは脳の病気の治療に予防医学的発想を直接持ち込んだもので,脳外科医療の質的転換で画期的なものと言えます。脳を構成する神経細胞は一度障害されると再生しにくいという性質があり,予防的治療に適した臓器と言えます。ただし脳ドックが人類の健康,福祉にとって有益なものであるかどうかは,長く生きたい,健康でありたいと無原則に願う人間の欲望の在り方や,経済行為としての医療の側面などさまざまな観点から,もう少し時間をかけた歴史的評価が必要だと思います。


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